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20080511~ 13と7と11の倍数の論理積は13と7と11の積の倍数である。 和ァ・・・
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生きてるー!と思ったらそこが地球だ!



アトラクタフィールド理論は、言ってみればシュタゲにおける昔の電器街なアキバ世界線での
「結果的にフェイリスと出会ったことは変わらないのか」

という、割りと当たり前のことを体系化したものでしかない。


我々は何か大事な原理を見逃していないだろうか・・・?

われ思う故にわれあり
とは、本当に哲学的な問題なのだろうか?

アキレスと亀が哲学ではなく微積分で解決されたように
実は、デカルトが最後に行ったことも哲学ではなく物理で解決されるのではないか


たとえば、世界中の人々が一瞬にして死滅したとしたら
自分たちが死んだことに気づかないが
客観的には死んでるように見えるだけで
主観的には死んでないのではないか

主観的な何かは、実は無限の過去から無限の未来まで存在し続けていて
客観視に入ったり出たりを繰り返しているだけなのではないか


と思えなくもない。

じゃあ、その主観者はどこにいるのか
主観者が広い宇宙で散り散りに存在しないでいられるのは
何か至極当たり前な原理があるのではないか

主観者が地球にいる
ではなく
主観者のいるところを地球と定義する

とか
その世界線で知能を発達させた動物を人間と定義する
的な


ドレイク方程式を常に1に規格化する何かが・・・


また、どうして我々はフィクションではなく現実に住んでいるのか



フィクションにおけるご都合主義に対応するような
現実における「不都合主義」などというのもあるかもしれない

ハルヒQ.なぜ現実はつまらなく見えるのか
キョンA.それが現実だと定義されている以上仕方がない
みたいな




もしかしたら、現実とフィクションはただ単に世界線が異なるだけで
本質は変わらないのかもしれない

我々はそれぞれ、時折現実にいたり、フィクションにいたりするのかもしれない。

リア充と呼ばれる方々は、実はリア充であると自他ともに観測された時点で
フィクション世界線「例:ジャパリパーク」に移動しているのかもしれない

最大公約数的な人数がコミュニティを作って、それを近似的な現実と見なしているだけなのかもしれず、現実というのは厳密には存在しえない幻なのかもしれない


それを国単位の集団で実験すれば、その国は浮いた存在となりうるのではないか

たとえば脳そのものに拡張空間機能を持たせ
その拡張空間機能を実は政府が握っていて
国民全員の過去の記憶を操れるとしたら
事実とはいったい何なのだろう?

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