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20080511~ 13と7と11の倍数の論理積は13と7と11の積の倍数である。 和ァ・・・
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サラリーマンだって平和を守れるんだ
小さな地震が束になっても大きな地震の分散には痛くもかゆくもないことはわかった。

じゃあ大きな地震を人工的に起こすというのは・・・


あ、あくまで平和的利用だっ!

たとえばもし人類がさほど住んでいる地域や家に執着がなければ

「○月×日に大きな地震を起こしますのでみなさんちゃんと逃げてください。△月◇日にまた会いましょう!」

なんて統率の取れたことがもしできるのであれば
これはむしろ平気的利用になる。


問題は、人間は集団を作ると個々とは異なる動きをすることだ。
まるで量子力学と古典力学が全然別物であるかのように。
政治にしても企業にしても、結局のところは「群れるとなんかおかしくなる」そこからきているように思える。

これに関してはヒトとはまったく異なる社会性を有した昆虫も例外ではないだろう。

昆虫1個体は自らの意思をほとんど捨て去っている。
しかしその群れは社会的に機能している。
昆虫1個体ではなく群れに対して話しかけたらそれに答えるくらいの知性があるかもしれない。
向こうは返事をすでにしていて、それなのに我々が気づいていないだけなのかもしれない。

他方、あるいは同様に、我々も個々で人格を持ちながらも
群れるとその群れ自体が個々とは別の人格を持ち
もしかしたら個々と群れとの会話も可能かもしれない。
ある人間が、自分の中にある臓器と会話しているようなイメージだ。


そういえばある社会に同じ人物相当の人間だけがいるという状況を考えてみよう
これはなんとなく、巨視的量子化のようなものを髣髴とさせる。
個々の人間とその群れがまったく同じであるという現象。
何か関係があるのだろうか、あるいはないのだろうか。



学問もまた群れている。
しかもかなり縦に積まれている。
こんなことで大丈夫なのか
興味本位で積む分には一向に構わないが、
それが生活の維持につながっているとなると、不安を感じる。
この社会ではそれ以外に道はないとされて当たり前なんだろうが
本当にほかに道はないのだろうか。



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