20080511~
13と7と11の倍数の論理積は13と7と11の積の倍数である。
和ァ・・・
先日から僕の部屋で開始した「PC触らなかったら5分でスタンバイ」計画
少しでも電力供給を融通したいと思いまして。 そこでまず気になったのが 自分では触れていない状態でメディアプレーヤーを起動している間はPCちゃんはちゃんと「触っている」状態と認識してくれるのか ということでして そこは問題ありませんでした。 次に気になったのが セキュリティソフトのバックグラウンドスキャンにおいてPCは「触っている」あるいは「動いている」認識してくれるのか ということで、これも問題なかったようです。 そうすると、PCは自分が動いているのかいないのかを認識するすべがあるということになるわけで。 ===== ところで、死んだあとに世間からどんな目で見られるかを気にされる方が結構いらっしゃると思うんですが 自分が死んだあとの世の中というのは意味があるものなのでしょうか 昔は相当する概念がなかったのでなんとも表現しづらかったのですが 宇宙というのは魂のSNSのようなものなのではないかと思うのです。 退会したらその人にとってその宇宙は存在しなくなるわけです。 その上魂ですので、ほとんどの身包み剥がされて自我くらいしか残ってないわけでして そこでまたサインインして過去の自分の履歴を見たとして あ、これ、過去の自分だ、そして炎上してる、恥ずかしぃ~ なんていうのを必ずしも経験するのだろうか という疑問があるわけですね。 個人的には生まれ変わる際の記憶の継承は任意であるべきだと思うのです。 継承するかどうかは生前に決めるわけです。 ====== もし、魂的なものを仮定すると、 1つの宇宙に1つずつ1つの生命や知性が発生しない理由も説明できそうな気がするのです。 つまり、我々がそこに集まった、と。 だからここにいるんだよ、と。 意識が偶然を操作できるのだとしたら、入れ物に中身が多くなればなるほど、機能的な領域は増えていくのだと思いますし そうすると1つの宇宙に1箇所にしか生命や知性がいないのもうなずけますし そこから1つの知性が宇宙を侵略し始めたところで何の遠慮もいらないというのも理にかなっていると思うんですね。 ====== それでですね、宇宙が1つのコンピュータだと仮定して 何をもって「PCが止まった」と判断するのか そこが問題だと思ったのです。 つまり、宇宙というSNSに魂が1人もいなくなった場合の話です。 そのときに宇宙は終わるのか、それとも終わらずに延々と動き続けるのか 延々と動き続けるのに誰もいなかったら意味ないじゃないですか。 しかも、それ以降誰も集まらないと断定できていたら、その宇宙は何をもって存在したいのですか。誰も見ないのに。 確かに物理法則はバックグラウンドで延々と動くと思いますけど どこかに「動いているかどうか」を判断する機能があるべきで、 実質止まっていたら終了するべきだと思うんですよね。 ====== 魂的なものはどこからくるのか 個人的に、物理の世界に無限はないと考えています。 しかし、我々が物理を考える上で、数学的な概念としては無限を考えることができます。 ということは、我々の魂は数学の世界から物理の世界に派遣されている身なのではないか、と、そう思っとるわけです。 ====== ところで、幽霊と妖怪はどう違うのかについて ぬーべーのころからビミョーに思っていたのですが どちらも残留思念みたいな意味では同じなのではないかと思っちょるわけです ただそこで新たな問題がありまして 残留思念と生まれ変わりは別なのかという点です。 残留思念に魂的なものは宿っているのかいないのか いやでも宿っていない残留思念ってかわいそうじゃないですか。 魂のない人工知能みたいに。 結局、命があってもなくても、観測されることで自我のようなものが存在するのではないか と現時点では思っちょるわけですよ。 やぁそれにしても残留思念は便利すなぁ 姿を現すことも隠すことも本人の自由 触れられるかどうかも自由 どんな姿になるかも自由 移動も自由 もしかして生きている者は死んで残留思念になるために生きているのではないか ====== この辺が、僕のブログを「希望的観測日記」にした理由だったりして。 仮定に仮定を重ねることに何の躊躇もなく、宇宙のあるべき姿を模索しているわけです。 まずは個人的な合理性からスタートし、現象の観測結果にはあんまり素直になりません。 むしろ、不都合な観測結果が出た場合に他の解釈がないか足掻きまくるのです。 にほんブログ村 PR
返信見ましたが・・・
コメントしにいくのに腰が重いのは僕も同じですねー。どうにも自分のところで手いっぱいな所が僕にはあるもので・・・。
>延々と動き続けるのに誰もいなかったら意味ないじゃないですか。 この文を読んで思い出したのですが、「誰もいない森で木が倒れたら、それは無音だろうか?」というフレドリック・ブラウンという方の言葉なんですけどね(もしかしたらご存知かもしれませんが・・) 誰もいなかったとしても、誰も聞いていなかったとしても「木が倒れた」事実は変わらないと思うんですよ。 まぁ、つまりは何かしらの行動(セキリュティソフトやらメディアプレイヤーが動いたり)を起こしているのであれば、誰もいなかったとしても、それは「止まっている」もしくは「止めている」とは言えないんじゃないでしょうか?
誰もいなければそこに月は出ているか
久しぶりのコメントありがとうございます^^
フレドリック・ブラウンという人の言葉だったのですね~SF作家さんですか~ 似たような言葉を量子力学かなんかの入門書で見た覚えがあります。 確か、「木は倒れてもいないし存在もしていない」とする派と「木は依然として存在し、倒れた」とする派があって、結構真面目に議論されていて今のところ未解決問題だったと思うんですよね。 量子力学における波動関数というものの解釈問題というやつで、どっちかが「実在論」でもう片方が「実証論」だったような・・・ でももし、その議論に結論が出せなかった場合、 「こうあるべき」っていうアプローチから攻めるのってアリなんじゃないかとも思うわけでして 誰もいないのに宇宙が動き続けるっていうのは虚しすぎないか?というアプローチは可能だろうか?という感じだったのですよ。 これまでに数学でも物理でも色々な定理が出されてきたのですが、その定理というのは「当たり前なこと」からスタートして、当たり前なこと同士をつなげていき、ところどころで「意外なこと」が見えてきた時点で定理にしてとっておく っていう姿勢で作られていっているので、 もしかしたらこういうところにも常識的・感覚的なものとの差が出てくるのかな?と思ったんですよね |
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1981/04/04
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