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20080511~ 13と7と11の倍数の論理積は13と7と11の積の倍数である。 和ァ・・・
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あんまりプログラムのことは詳しくないので大きなことは言えないんだけど、プログラムが自律的に進化するって言っても「設計された許容内」での進化なんじゃないかなとは思っているわけで。

その許容する可能性の状態をとても多くすることで擬似的に「自律的に進化している」と見せかけてるんじゃねーかなーとは思っているわけで・・・。
(ほかにいい方法があったらごめんよ)

たとえば、ユーザーの癖を学習する漢字変換システムは、たぶんだけど何もない状態から学習してるんじゃなくて、ある最低限のルール、たとえば日本語が持つ最低限のルールや日本人の取りうる癖をすべて許容する「枠」のようなものを用意されて、はじめて機能するんだと僕は思ってる。
だからつまり、道のないところに道を作る能力はなく、いくつか用意されたレールを分岐点に沿って選んでいるに過ぎないんじゃないかなと。

だとしたらそのプログラムの持つ進化というものは有限のときがきたらそれ以上進化しない限界になってしまう。


おそらく、それはプログラムだけではない。
生命においても「基本的には」最初に定められた膨大ではあるけれども有限の選択肢を選んでいるには過ぎないんじゃなかろうか。
(※ただし、放射線による突然変異などを除く?)

海から陸に上がりエラを捨てて肺呼吸になった生物が後々の子孫において、また海に戻る際に肺呼吸を捨てて新しい呼吸法を得ることができなかったのはそういう意味合いがあるのではないか。

そういう観点で生命と知性の違いを見てみると
知性は、新しい枠組みを作る役割を持って、生命における限られたプログラムを破壊し、作り直すために生まれてきたのではないかとも思える。
だからこそ知性の進化スピードは生命の進化スピードに比べ格段に速いのではないか。

しかし、知性の持つ選択肢も例外なく有限であるのだろう。次に誕生するべく何らかの枠組みによって破壊されるものなのかもしれない。

そうやって、新旧の枠が共存する時代に新しい枠が古い枠を壊しながら、プログラムの持つ制限を劇的に押し広げる殻破りを幾重にも行って、進化を続けていくべきなのかもしれない。


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