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20080511~ 13と7と11の倍数の論理積は13と7と11の積の倍数である。 和ァ・・・
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哲学といいながらオカルトが混ざってるのは仕様
具体例がないとアキレスト微積分の二の舞になっちゃうじゃん


僕が最近考えている
「設計者視点での宇宙のあるべき姿」としての物理法則のアプローチ方法
「観測事実」に代わる新しいアプローチなのかなーって思っていたら
案外論理で数学なのかもしれない。
伝統だな。数学ではな。

でも「論理で数学」な確かめ方が物理に適用できたら
それはそれで新しいのか。


物理法則なんかを確かめるのに精度やエネルギーで誰かが無理してたら
それはおかしなことなんじゃないか?
なんかほかの方法があるはずだろう

エネルギーやサイズのスケールがさまざまな宇宙生物が
自分達にはこれはスケール的に証明できない
とあってはよくないじゃないか。


あとあれ
感性は1000差10000別でいい
でも信念は論理でできているべきだから
唯1無2であるべきで、個性によって多様ではないべきだ

また、論理で割り切れない信念はそれは何かがおかしいべきだ
いわゆるさまざまな「パラドックス」に見られる現象で
割り切れない状況を生み出している周りの環境なりなんなりがしっかり定義できていない証拠なのだろう


この世は決してアンフェアでできているべきではない
そう見えるのは状況が絡まっているためであり
まさに芋づる式にほどいていくことによって
アンフェアは1つ残さず消えるべきである


しかし1方、事実は唯1無2ではないかもしれない
まさに去年の仮面ライダーが言っていたように
記憶こそが時間という理論があるのかもしれない
つまり記憶や認識によって事実が変わったり果ては成り立っていたりするのではないだろうか

そのためには並行世界は未来へのみ分岐しているべきではなく
過去に向かっても分岐しているべきであろう

全並行世界が持つ情報量を効率よく格納する方法としてもこのほうが合理的だ。

この理論は超能力の復活へとつながる予定。


そうするとあれか
事実すら歌や絵画や言葉みたいなもんで、芸術の1環ということになるな。





並行世界内の社会同士に優劣はあるのか
あるべきなのかもしれない
そこは人における感性というよりは信念のほうに近いのだろうか

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